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茅の輪くぐりに行きそびれた時の祓い方

6月30日は茅の輪(ちのわ)くぐりに行って、穢れを落としましょう。というのは知っていても、仕事で行けなかった!行きそびれてしまった!という方もいるのでは?

この日に行けなかったからといって落ち込むことはありません。

日常での祓い方についてお話していきましょう。

茅の輪くぐりってそもそもなに?

まずは茅の輪くぐりについてですが、これってなんのために用意されているかご存知ですか?

茅の輪くぐり

茅の輪について

千萱という植物で大きな輪を作り、その中を作法に従ってくぐっていくことで無病息災など厄除け神事のこと。

夏と冬と二回行い、その風習は全国的に広がっています。


6月30日を選んで行われ、夏越の大祓(なごしのおおはらえ、おおはらい)と呼びます。

丁度、元旦から半年ほどたった時期、7月15日に水神様をお迎えする前に穢れを落としましょうというのがこの夏越の大祓というものです。

この茅の輪をくぐることで、

「生活の中で知らず知らずに身についた罪や穢れ、災厄をお祓いする」

ことができるとされ、1000年以上も続く神事となっています。


日本書紀では天武天皇の時代に、都で行われる宮中行事としての記述が残っているので、一般的に普及したのはごく最近のこと。


穢れということばは「気枯れ」でもあり、気は人のエネルギーを意味します。

それを維持するための神事になっていったのですね。


千萱には魔除けの力があるとされ、輪のサイズは記述が残っているもので、正式には6尺4寸。

天の二十八宿と地の三十六禽の合数で64から由来していて、天地があわさっている状態を表します。

千萱は茅葺屋根の材料になるくらいで日本ではそれほど浸透していませんが、中国では特別な意味を持つ植物となっています。

萱は茅、草に矛と書きますよね。

国産み

古事記によると、伊邪那岐と伊邪那美の二神が天浮橋に立ち、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜたところ、それが積もって最初の大陸となりました。

日本神話の最も重要な国産みのシーンで、矛は非常に重要な役目を持っています。

どうして夏に行うのか

夏越しの大祓いに関しては、この話が起源とされています。

疫隈(えのくま)の国つ社(現 福山市東深津町の王子神社)の由来は、このようなものである。
昔、北の湖にいらっしゃった武塔神という神が、南の海の神の娘に妻問いに通って行ったのだが、道すがら日が暮れてしまった。

そこには蘇民将来という兄弟がおり、兄はとても貧しく、反対に弟は裕福であった。
弟の土地には家と倉が合わせて百もあるほどで、武塔神は弟の将来の家に行き、一夜の宿を請うた。

しかし、弟は武塔神の姿を見るなり嫌な顔をした。質素な旅装束に身を包む武塔神を蔑み、己の土地を貸し惜しみして武塔神を家に入れなかった。
それを見ていた兄は武塔神を家に招き、貧しいながらも粟の茎を編んで円座をつくり、粟飯を炊いて真心を込めて精一杯のもてなしをした。
そうして翌朝、武塔神は南の海に向けて無事に旅立って行った。

それから数年後のことである。
兄の蘇民将来(そみんしょうらい)のもとに武塔神が、南の海の娘との間に生まれた八柱の御子を伴って訪れた。
武塔神の言うことには、
「あの時は大層世話になった。私は、兄の蘇民将来のために礼がしたい。お前の子孫はこの家にいるのか」
「私には妻と、それから娘が一人おります」
兄の蘇民将来が答えて申し上げると、武塔神は
「ならば茅草で輪を作り、その茅の輪を家族の腰に着けさせよ」

こう言い残し、立ち去って行った。
武塔神の言葉通りに、茅の輪を作って娘の腰に着けさせたところ、その晩に疫病が発生した。
疫病は、茅の輪を着けていた蘇民将来の娘一人を除いて、人々をことごとく殺し滅ぼしてしまった。

生き残った娘のもとに武塔神が現れ、こう言った。
「私は、武塔神と名乗っているが本性は速須佐雄の神である。後の世に疫病が発生したならば、お前の一族は『蘇民将来の子孫だ』と言って、茅の輪を腰に着けるように。そうすればこれから先も、疫病の難を逃れることができるであろう」

参考元:備後風土記

最初は腰につけるほどの小さなものでしたが、いつしかそれは人がくぐれるほど大きなものになっていきました。

茅の輪をくぐることで疫病など災いを逃れるといったことが始まりですが、現在では体の邪だけでなく心の穢れ(怒りや悲しみ妬みなど体を病む感情)を落とす儀式という位置づけになっています。


また、現代は車社会ですので車の厄落としとして、車専用の茅の輪も設置されているところもありますね。

備後風土記について

よくよく話を読んでみると、須佐之男がでてきますね。

南の妻って瀬織津姫かなぁと思うんですが(須佐之男との間に娘も生まれているし)どうなのでしょう。


6月は水無月、水がない月だから7月に水神様をお呼びするという意味もあります。

なおのこと、瀬織津姫説が有力になってきます。

しかもこの、茅の輪という輪が、蛇の象徴、蛇神を表すのではないかという話もあるのです。


ホツマツタエによるとモチコ・ハヤコがヤマタノオロチとかしてしまったのは瀬織津姫がきっかけでもありますし、瀬織津姫も弁財天と別名を持つ水の神様。

ただの偶然か、はたまた・・・

瀬織津姫についての伝説などは解説していくと長くなってしまうので、またの機会にしましょう。

茅の輪くぐり

茅の輪くぐりの作法

さて、神社に入る時ですが鳥居の左側から進んでいきます。

真ん中は神様が通る所なのでなるべく避けましょう。

・先ず、茅の輪の前に立って軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、左回りに回って元の位置に戻ります。
・茅の輪の前で軽く礼をします。右足からまたいで輪をくぐり、右回りに回って元の位置に戻ります。
・茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり左回りに回って元の位置に戻ります。
・茅の輪の前で軽く礼をします。左足からまたいで輪をくぐり、ご神前まで進みます。
・二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。

左から右から、どっちから行けばいいのー!?と混乱してしまいそうですが、多くの神社は茅の輪のそばに説明書きがありますのでご安心を。


また、この作法通りにくぐらなければいけないという強制的なきまりはありません。

くぐることが大事なのです。

その際に、神拝詞というものを唱えるのですがこれも各神社それぞれ御祭神が異なるためまちまちです。

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」

と唱えるところが多いようですね。

そして参拝が終わったら、ぐるりと回って鳥居の右側から外に出ます。

茅の輪くぐりの期間

茅の輪くぐりはいつから行われるのか?

この行事が行われるのは6月30日ですが、地域によって異なり早いところだと6月1日から神社に設置されるところもあります。

いつから行われるのか一概にこの日とはいえないので、6月に入ったら少し情報のアンテナをはっておきましょう。


当日越れない方は、形代と呼ばれる紙人形で厄を払う方法もあります。

任意の初穂料を添えて持参またはご郵送により当日お祓い祈願をしてくれる神社もあるので、近くの神社で聞いてみてくださいね。

水無月をいただく

京都ではこの夏越の大祓のときにいただく和菓子があります。

水無月

甘く煮た小豆を三角形に切って、白いういろう生地の上に乗せたもの。

これは冷蔵庫がなかった時代、宮廷の貴族たちの間で氷で邪気を祓う風習がありました。

それが庶民に伝わり、ういろうを氷に見立てて、邪気を祓う小豆と一緒にいただくようになったのです。

茅の輪くぐりのまとめ

もし、夏の時期にどうしても駄目だった!という方は12月、年末の大祓もありますので、参加してみてください。

健康長寿、無病息災は神社にいかなければ叶わないのか?というとそうではないですよね。

心の中にきちんと神様や柱を持って、自分の生活を整えていくことで身を清めることができます。

きれいな水を飲む、食を整える、心を整える、空気を変える、石の力を借りるなど普段の生活からゆったりとした気持ちで過ごせるように、自分なりのリフレッシュ方法を見つけてみてくださいね。

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